さくら

今年もいやな季節がやってきた。
あちこちで満開の桜。
狂ったように舞い踊る花吹雪。
別に、桜が嫌いなわけではない。
ただ・・・

子供の頃から桜が大好きだった。
満開の桜を見ると心が弾んだ。
20歳になった頃だっただろうか。
ふとしたことがきっかけですばらしい桜を見つけた。
ある川の上流にあるその桜の木は、
滝に向かってせり出し、
川を覆い尽くすような満開の花を咲かせていた。
春の日差しにきらきらと輝く水しぶきの中、
舞い踊る花吹雪。
やがて、花びらは滝壺へ吸い込まれるように落ちていく。
この時、初めて感動というものを知った。

この場所は、道路から離れていることもあってか、
他人に知られることもなく、
その後の何年かは、桜の季節になると
そこを訪れ、一日中舞い散る桜をながめていた。

ある年のことだった。その場所に行くと見知らぬ男が立っていた。
近づいていくと男は、
「見事な桜ですねえ。」
と声をかけてきた。
「ええ。」
と気のない返事をすると男はまた、桜に見入った。
後ろからそっと近づくと男の背中を押した。
水しぶきと桜吹雪の中、男の体はひらひらと落ちていき、滝壺へと吸い込まれていった。
秘密の場所を知られた嫉妬に似た気持ちがあったかも知れない。
しかし、ほとんど無意識のうちにやった行為だった。
特別に罪悪感もわかず、落ちていく男の姿が美しいものとして心に残った。

数日後、男の死が新聞の隅にでていたが、転落による事故死として処理されたようだった。

また、いやな季節になった。
あちこちで満開の桜。
狂ったように舞い踊る花吹雪。
別に桜が嫌いなわけではない。
ただ、満開の桜を見ると
人を殺したい衝動にかられるのだ。